ウェブライターという仕事について

ブログライティングについて考えること

脳は無限の可能性に満ちている

ライティングに関する専門書などは数多く市場に出回っていますが、それでも正しい記事の書き方は一朝一夕で身につくものではありません。

 

たしかに文章を書くためには読むことは大切ですが、まずは自分で書いてみることをおすすめします。

 

本業なら尚のこと、副業でも自分でゼロからオリジナルの文章を生み出すことをやらない限りは始まりません。

 

ひとつだけ私からアドバイスできることがあるとするなら「どうしてもライターになりたいのならライティングに関する専門書以外を読んだ方がいい」ということだけはまず間違いありません。

 

良質な記事は忌憚なく世の中に普及させていく

長いことライティングの仕事に携わっていくうちに著作権や使い回しといった由々しき問題に直面することがあります。これらは決して許されるべきものではありませんし、既存のクオリティの高い記事に関しては最大限守られるべきものだとも思います。

 

しかし、それとは別に中には心の底から「これは良い!」「この考え方や価値観は積極的に世の中に広めていくべきだ!」と思える記事が少なからずあるはずです。

 

私自身、フリーランスの身としてそういった良質な情報はどんどんと世の中に広めていくべきだと思うのです。

 

ルールというものは時として人間の存在すら脅かすものにもなり得ます。

 

ルールを守るべきか、人を守るべきか、我々は今一度考えるべきなのかもしれません。

 

文章は素人でも書ける

「乗せておいて落っことすのはマスメディアの得意技。それに乗っかるのが世論の得意技」という言葉も存在するほど、旬な芸能人の粗探しを書き連ねたような記事でも、それを量産さえできてしまえば素人でもウェブライターになれます。しかし、そんな記事でも20記事、30記事と書いているうちに苦しくなってきます。

 

これはプロでも素人でも同じです。

 

素人とプロの差というのはつまるところ「その差を分かっているかどうか」というところだと思うのです。

 

しかし、数多あるゴシップ記事をはじめ非建設的な記事というものには一瞬の価値しかありません。

 

私自身、こればかりはやってみて初めて分かったことですが永続的な価値を持った建設的な記事というのはそうそう狙いすまして生みだせるものではありません。それでも辛抱強く粘るのが本物のプロのフリーランスウェブライターと目される上位数%の人達です。

 

始まりはいつも、ひとつの言葉から

ライティングは内容によっては参考資料なしで取り組めるものもあります。

 

そういった記事の場合はひとつの単語や固有名詞などから連想される言葉を順繰りに繋ぎ合わせていくのです。躓いたらまた言葉を探して連想して思考を広げていき、また躓いたら考えて、の繰り返しです。これを繰り返しているうちにいつの間にか文章もどきの長文が出来あがります。しかし、本当に問題なのはここからなのです。

 

【繋ぎ合わせて、並べ替えて、無駄を削りとっていく】

 

出来上がった数千文字の長文は、おそらくはそのままの形ですと駄文に近いはずです。さすがにそのままにしておくのはまずいので最低限、記事としての体裁を整えておく必要があります。

 

今一度、出来上がった文章をチェックしていきましょう。

 

ここと、ここは入れ替えた方がいい。表現が重複している。何だか文章全体に締まりがない。この部分はもう少し適切な言い回しがあるはずだ。

 

このように至らない部分をひとつずつ考察し、一行一行を吟味・推敲し、加筆・修正を繰り返すことによって文章はやがて少しずつ記事へと昇華していくのです。

 

ウェブライターという職業について

人は誰しも、常に何かから逃れたいと考えながら現実逃避を繰り返しています。

 

しかし、現実逃避など現実が目の前にある限り、そうやすやすとやり遂げられるものではないということもまた事実です。

 

私にとってライティングという仕事は究極のところロックンロールのようなもので、そこには反骨精神や社会に対する飽き足りない不満、魂の破壊のようなものがあり、常にネタが尽きることはありません。ネタが尽きないということは裏を返せばその仕事はエンドレスでもあります。

 

今回はそんな、私を虜にして止まない無限の可能性に満ち溢れた「ウェブライティング」という仕事の魅力についてここに書き連ねていきたいと思います。